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出会い・感動インタビュー

一人で見る夢は、ただの妄想かもしれない。
でも、みんなでつながれば、必ず現実になる。-東ちづるさん

今回のインタビューのお客さまは、女優の東ちづるさんです。華やかな芸能活動と並行して、様々な社会活動を継続していることでも知られている。価値観や文化、国籍、年齢、性別の違いをこえて暮らしていける社会をめざす「Get in touch」を主宰。アートや音楽、ファッションなどの各種イベントを通じた幅広い活動を行っている。「私一人の夢だとただの妄想で終わってしまうかもしれない。でも、みんなでつながればそれは現実になる」と話す東さんに様々なお話をお聞きしました。

東ちづるさん/女優。

広島県因島市(現尾道市)生まれ。会社勤めの後、芸能界へ。ドラマから司会、情報番組のコメンテーター、講演、CMなど多方面で活躍。執筆も手がけ、著書も多数。20年以上前から、骨髄バンクやドイツ平和村、アールブリュットの活動支援などのボランティア活動も続ける。2012年10月、アートと音楽を通じて誰も排除しないまぜこぜの社会を目指す一般社団法人Get in touchを設立し、理事長に就任。

東 ちづるさん

 

会社員から芸能界へ。―大手企業にお勤めされていた、とお聞きしました。

広島県因島の出身です。地元の県立高校を卒業した後、関西の大学へ進学します。大学を卒業して、大阪にある大手メーカーに就職しました。配属された部署は 広報部です。主に、その会社の商品の販促企画を任されていました。イベントを企画したり、そこに芸能人を呼んだり。今とはまったく反対の、制作の裏方の仕事をしていたのです。
コピー取りやお茶くみなどは一切しなくてよくて、その時間があるなら「一つでも多くの企画を出せ」という社風。入社式の時にトップの方が「給料のために働かないでほしい。すべて自分のために動いてほしい」と言っていたほどです。そんな環境だったので、私自身も「自立」ということを最初から意識していたのだと思います。常に、「自分をどう切り拓いていくべきか」ということを考えているようなタイプ。周囲から見たら、けっこうガツガツしていたと思います。ですから「このまま組織の中にいていいのだろうか?」という考えが出てくるのも当然といえば当然ですよね。青かった、若気の至りです(笑)
会社員をしながら文章を書くバイトをしたり、スキーのデモンストレーションをしたり…。もちろん会社は副業禁止ですが、あれこれやってみたのも、もしかしたらすべて自分の新しい扉を開くための試みだったのかもしれません。

―芸能界へ入られたきっかけを教えてください。

東 ちづるさん

芸能界に入ったのは、あるタレントオーデションを客として観にいったことがきっかけでした。そのとき派手な格好をしていたこともありステージに上げられて しまい、そのままグランプリをいただいてしまったのです。それまでただの一度も自分が芸能人になるなんて考えたこともありませんでした。発想すらもなかっ たのです。
小さな頃から、夢は本を書くことでした。小説でも絵本でも漫画でも、何かを表現できる人になりたいと思っていました。でも、そのとき私はこう考えたのです。これも私の人生の新しい扉なんじゃないかと。やったことのないことに挑戦してみようという感覚でした。もともと自分の中にあったクリエイトしたいとい う気持ちと重なる部分もあったので、芸能界で自分の可能性を試してみたいと思うようになりました。
とは言え、右も左も分からない世界に飛び込んだわけですから、本当に苦労しました。最初の頃、打ち合わせですら、スタッフの方が話している意味が分からない。業界の用語も分からないですし(笑)。加えて、ディレクターによって要求することがまったく違ったり。アナウンス学校を出ているわけではありませんの で、母音の無声化など発音の問題もありました。そうした様々な問題を必死でクリアしながら、番組1回1回がチャンスと思いやってきたのです。幸いにも、こ れまで食べられない時代はなかったので、その点は本当に幸運だったと思っています。

「骨髄バンク」の活動。―長年活動されている、「骨髄バンク」のことをお聞きしたいのですが。

東 ちづるさん

21年前のある日、私はたまたま自宅で情報番組を見ていました。その番組内で、慢性骨髄性白血病と闘っている17歳の少年のドキュメント企画が放送されま した。家族と少年の生活を淡々とつづったもので、最後に司会者は「頑張ってほしいですね」と締めくくりました。それは、いかにもお涙頂戴的な構成だったのです。これを見て、私は大きな疑問を抱きました。この17歳の白血病の少年は、何かを伝えたくてテレビに出たはずです。でも、それが何であるのか、見ている私にまったく理解できませんでした。それじゃあ、なんでこの少年はテレビに出たのだろう。その大切なことを伝えないで、このテレビ番組の存在意義はどこにあるのだろうと。
私はいてもたってもいられず、すぐにその少年の連絡先を調べて連絡を取りました。そしてご家族とじっくりと話をして、ようやく彼の真意を知ることができました。つまり、彼は「骨髄バンク」の存在をより多くの人たちに知ってもらいたいという願いから、自分が白血病であることを告白してまでテレビに出たので す。
マスコミに身を置く一人として、何としてもこの少年やご家族の心からの願いに応えたい、何かできることをしたいと思いました。このことをきっかけに、私は「骨髄バンク」の活動を始めたのです。

―東さんの活動は、いわゆるボランティアと考えてよいのでしょうか。

世間ではこうした活動のことを、一般的にボランティアと呼びます。でも、私はボランティアとはまったく思わずに始めたことなのです。今でもボランティアを したいとは思っていません。私は仕事が大好きですが、仕事以外にもやりたいことがある。仕事を辞めてまでとは思いません。ですから当然、その自分がやりた いこと=やるべきことは無償で行うしか術がないのです。結果、ボランティアと呼ばれる。何も特別なことではなく、私にとってはごく自然なことなのです。
いずれにしても21年前に、17歳の白血病の少年との出会いがきっかけで「骨髄バンク」の活動は始まりました。全国各地の患者さんやそのご家族と一緒になって、様々な活動や試みを続けていきます。その中で、いろいろな理不尽な面が見えてきました。白血病だけでなくさまざまな理由で親を亡くした子供たちが、思うように就学できないなど。今の日本でそんなことが起こってしまうのかということを目の当たりにしました。
子供たちが自分の夢を叶えるためには、進学はとても重要なことです。そこで「あしなが育英会」のことを知り、こちらも私の活動の中に含まれるようになりました。また、戦争で傷ついた子供たちを治療する「ドイツ平和村」にも、資金援助等も含めて私たちが何かできないか模索・奔走しています。さらに、障がい者の方々のアート活動もサポートしています。
活動を続けながら、いろんなことに気づいていく。気がついたら、次の扉を開ける。探究心、好奇心も手伝って、扉があれば開けずに通り過ぎることなどできない性分なのです(笑)。

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