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出会い・感動インタビュー

困難があるから、人生って輝くのよ。-玉田 さとみさん

第6回目のお客様は、日本で初めてバイリンガル・バイカルチュラルろう教育を行う学校「明晴学園」を設立した玉田さとみさん。ご次男の耳が聞こえないと分かったときに受けたショックをパワーに変え、ろう者の未来のために尽力する玉田さんの言葉は、前向きなエネルギーに満ちていました。苦しみを知っているからこそのポジティブさは、多くの人の心を動かすのではないでしょうか。緑豊かな、都会のオアシスのような学校でお話を伺ってきました。

玉田 さとみさん/学校法人明晴学園理事 NPO法人バイリンガル・ バイカルチュラル ろう教育センターディレクター

1962年東京都生まれ。学校法人明晴学園理事。NPO法人バイリンガル・バイカルチュラルろう教育センターディレクター。TBS情報キャスターを経て放送作家としても活動している。次男がろう児と診断されたことをきっかけに「手話で教育するろう学校」の必要性を感じる。行政や教育界の壁を乗り越えて、2008年に東京都の教育特区として学校法人明晴学園を創設。

玉田 さとみさん

 

―聞こえなくて「ありがとう」

玉田 さとみさん

息子の耳がもし聞こえていたら、今の自分はなかったでしょうね。物事に対する捉え方や考え方も違っていたし、こんな にいい生き方はできていなかったと思います。明晴学園設立という、前例のないことを実現するために、苦労や困難がいつもついて回りました。膨大なエネルギーも必要でしたが、その源になっているのは13歳の次男。私が一番「ありがとう」と言いたい相手が彼です。2つ上の長男と違って、次男の耳は聞こえない。もちろん、最初はショックを隠せませんでした。どうすればいいのか分からないときもあった。でも親として、この子にどう育ってほしいのか。そこから全てが始まりました。紆余曲折を経ましたが、いつも前向きな気持ちで楽しく生きていられるのは全て子供のおかげです。

本業であったマスコミの仕事では、情報を発信する側に立っているからこそ見えていなかった部分や、気付かない点がいっぱいあったんですね。日本は先進国という大前提があるから、いろんなことが正しいんだと認識していた。でも、ろう者の教育一つにしても、そうではなかったんです。もし次男の耳が聞こえていたら、そんなことも知らずに、物事の一面だけを見て判断する人間のままだったかもしれません。今になって、本当に実感しているんですよ。

子供がろう者だというと、子育てには苦労していると思われがちです。もちろん大変ですが、それは聞こえても聞こえなくても同じこと。明晴学園では、同じような境遇のお母さんも多いのですが、みんな楽しく子育てをしていますよ。聞こえる子とよりも、たくさんのおしゃべりを楽しんでいるかもしれないくらいです。

子供の方も「聞こえないけど、それが何?」という感じなんです。私と子供の会話はいつも手話ですが、楽しいですよ。車に乗っているとき、子供は窓を開けたがりますよね。でも、運転している私には外の騒音などが聞こえてくる。「うるさいから、閉めて」と言うと、「僕は平気だよ、うらやましい?」とニンマリされるんです。これにはもう「うらやましいよ」と返すしかないですね。駅前の雑踏などを一緒に歩いているときも「ねぇねぇ、今うるさい?」と興味津々。「うるさいよ」と言うと「へぇ、そうなんだ。僕は大丈夫だもんね」と得意 顔です。最近では「聴者って大変だね。なんか、かわいそう」と言われますよ。彼らにとっては、その程度のことなんです。それも、次男と一緒じゃないと絶対 に気付かなかったんですよ。同じような境遇の親子はいるはず。こんな喜びを、多くの人にも感じてもらいたい。しかし、すぐ壁にぶち当たりました。

―日本手話に感じた可能性

玉田 さとみさん

ご存じですか?日本では、昭和8年から全国のろう学校で手話を禁止してきました。聴覚口話法といって、少しでも声を出すこと、聞き取ることを第一に教育 をしています。手話を覚えてしまうと、日本語習得の妨げになるといわれていました。でも、聞こえない子や聞こえにくい子は自分が発した声を自分の耳で フィードバックできないので、正確な発音はできません。先生やお母さんの反応を頼りに判断するしかないのです。口の動きを真似て「か」と言ってみて、相手の反応で正しく発音できているかどうかを探るんです。そして、途方もない時間をかけて喉や舌の動きと感触で発音を覚えていく。ここで一番怖いと思ったの は、コミュニケーションの全ての決定権が向こう側にあって、子供には全くないことです。

いくら頑張っても、聞こえない子は聞こえる子にはなりません。それはゴールのないレースを子供と一緒に走らされるようなもの。絶対に達成できないことに挑んでいるわけですから、こんなにつらいことはないですよ。

玉田 さとみさん

ある時、声で話す難聴者と一緒に食事に行きました。彼女がメニューを見ながら声で注文すると、店員さんは怪訝な顔で私の方を見ました。通訳のような役割を私に求めてきたんです。その瞬間、難聴者は「話せない人」という存在になってしまいます。ところが、日本手話で話をするろう者の友人と食事に行ったときは、違いました。手話で雑談しながらそれぞれが注文を決め、店員さんを呼びます。友人は、 メニューを指さし、ジェスチャーも交えてオーダーします。私も声を使わずろう者のやり方で注文をしました。すると、「(手話が)話せない人」は、ろう者ではなく、その店員さんということになる。私たちができていることができないのだから、仲間はずれは自分! 立場が逆転しちゃうんですね。

それってすごくおもしろいと思いませんか?これなら息子の尊厳を守れる、これで育てればいいんだ、と私が気付いた瞬間でした。考えてみれば、少しでも声 が出た方がいいというのは、聴者の価値観を押しつけているだけ。ろう者は常に相手に合わせなければいけない。そんなことでは、彼らにとって本当にいい生活 や住みやすい世の中は、いつまでたってもできませんよね。

でも現実は、70年以上前からろう学校で手話が禁止されている。最初は、学校の設立なんて思っていませんでした。せめて、手話で学べる環境を作れないかと、学校に何度も言いましたが、要望書を出しても全く取り合ってくれない。教育委員会へ行っても同じで、文科省へ行ってもダメでした。海外ではもう20年くらい前から、言葉の読み書きと手話のバイリンガル教育をしている。研究の出発点にしてほしいと訴えましたが、結局は全て拒否、拒否、拒否……周り中の 360度が敵ばかりです。まさに八方ふさがりでした。

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